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2016年9月 8日 (木)

不況といわれながらも…

不況といわれながらも…
不況といわれながらも…
業界不況といわれながらも、この秋もいくつもの新店舗がグランドオープンしていきますね。

当地も、近隣というわけではないですが、近々オープンのホールがあります。

昔みたいに、新店舗と言えば半年、1年ぐらいはビクともしない稼動がほぼ約束されてた時代とは異なり、現在はグランドオープン失敗したらそれっきり…というリスクもありますが、それでもなお、新規開店はある…もはや体力勝負の様相ですね。


新規開店で思い出すのは、昭和60年末、都内某所にオープンしたホール。

スーパーコンビあって。○を見たらメチャクチャ○くて…(時節柄一部伏せ字ですが、わかりますよね?)

すぐ当たった…けど増えない…右落としの○が○いのだ。

4000個打止まで所要時間1時間。

まあ、小銭で当たるのは確かだから、打止後再度打ったけど、2回打止したところでハイ閉店。(8時閉店)

楽な勝負で、普通に勝てたけど、あまりの出玉の遅さは忘れられません。(苦笑)

時々玉が減るぐらい遅い…(笑)


開店プロも多い時代、○師も特にスーパーコンビみたいな機種の赤字を、全台確実に出すことは出しながらも、1台あたりマイナス2万円以内にするには、良い作戦だと、後から思えば感心したものです。

…まあ、アタシは店の立場の場合は、「惜しみなく」がモットーだったんで、この手法をその後真似することはなかったですが、この○師さんもオーナーから出された予算と出玉の兼ね合いで頭を痛めた末の作戦だったんだろうと想像します。

そういう駆け引きが垣間見られるのもまた、客視点では面白かった。

ホールに行くのがワクワクした…。

客視点で見たら、現在のホールには、こういうワクワク感が非常に乏しい。

ただただ確率で動いてるだけのセブン機、全国どこへ行っても、ほぼ変わらない機種構成…。

思うんですが、いっそ地域により…ですが「ご当地限定台」でも作ってみては?…と思いますね。


そこに行かなきゃ打てない…みたいな。

現在、あるとしたら沖縄のトリプルクラウンぐらい?ですが、打ちに行こうというモチベーションが上がる仕組みが欲しいかな…と思えますね。


あ、一時期流行した文言「刮目せよ!」は最近見かけないけどブーム終焉したの?(苦笑)


ああいう、どこかのホールのマネッコで同じ文言使うのとか、本当に「そそらない」。


せめて独自色を出してくれないと、それ以上の興味が涌かないです。

少しでもワクワクさせてほしい。遊技離脱したファンの人からも最近チラホラ同じような意見聞きました。

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コメント

開店プログループはいつから誕生したんでしょう?
自らの経験を語るとしますと初期の一発台の頃は見かけなかった気がします
それこそ200円も打てば命釘抜けて打ち止め
それを短時間で2,3回を繰り返し勝ったお金で遊びに行く( ^ω^ )
自分を含めガツガツと取りに行く輩は居なかった感じです
まあ死に物狂いで取りに行ったらまず店員につまみ出されていましたけど
お前は二度と来るなみたいな(;´д`)トホホ…
となると昭和の終わりから平成にかけてですかね

パチンコ必勝ガイドで某さんが開店プロのコラムを書いていましたがそれ以降増えていったのかなとは思います

投稿: ローマ | 2016年9月 8日 (木) 18時00分

ローマさん、パチプロですが、まず手打ち時代は徒党を組んで動き回るプロというのは自分の場合およそ記憶にありません。

セブン機の「デジパチプロ」を除くと、羽根物、権利物等、時間効率の高い機種の登場あたりから「開店プロ」が本格的に現れ始めたように記憶しています。

目立って活動していたのはやはり昭和50年代の後半から60年代にかけて。ここが「最盛期」と呼べると思います。


地域でいうと彼らの拠点は東京の場合、下町であることか多く、名称も通称ですが「〇町グループ」(〇は下町の地名)とか呼ばれているグループもありました。山の手を拠点にしたグループというのは聞かなかったように思います。新宿あたりでも「〇町グループ」や「〇ちゃんグループ」といった下町系の開店プロと出くわすことが何度かありました。時代は昭和59年ごろの話です。

投稿: | 2016年9月 9日 (金) 02時00分

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